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FILE NO.005 姫ヶ淵
ADDRESS : 山梨県東山梨郡大和村田野
TRAFFIC : 甲州街道(国道20)を八王子から御殿場方面に進む。大月のインターチェンジを過ぎ、笹子トンネルを抜けると500mも行かないうちに右折のできる交差点があるので、そこを右折。Uターンするような感じで坂を上る交差点なので見落とさないように要注意。後は3㎞程度進めば景徳院。
1. : 首洗い場に自決した武将たちの首が浮かび上がる。また、その水が流れ込む日川はときどき水面が真っ赤になるという。
2. : 側室などが自決した姫ヶ淵にも彼女らの首が浮かび上がる。
DATA : 武田信玄の四男に当たる勝頼は、73年(天正1)の信玄の病死(かどうか、いまだに議論になっているが)にしたがい頭首の座をを継いだ。
75年(天正3)に長篠の戦いで敗れた勝頼は77年に北条との同盟を強めるなどの地盤固めに腐心するものの、北条と上杉の争いに巻き込まれる形で北条氏との同盟を破棄される。
こうしたことがきっかけとなって手持ちの領土を次々に失っていくことになる。82年(天正10)には織田信長が甲斐侵攻作戦を開始。もはや勝利は望めぬと感じた勝頼は自ら城に火を放ち、天目山下の田野にて一族とともに自決した。
彼らをまつるために景徳院が建立され、今でも彼らの首切り岩や首洗い場、辞世の句などが見ることができる。また、勝頼の側室など計16人もの女性が自決した淵は、今では姫ヶ淵と呼ばれている。
DATE : 1996. 12. 22 (Sun) 02:00
MAN : あちーむ、Mトウ
DATA : 景徳院の噂は前から知っていたが、実はこの場所が分からなかったので調査をするつもりはなかった。
大菩薩峠の調査を終えて、旧御坂トンネルに行こうと思い勝沼のある橋のたもとでジムニを止めて地図を見ていたときのことだった。ふと、現在地を知ろうと思い川の名前を見てみると、なっ、なんと、
日川
とあるではないか!うーん、偶然は恐ろしい。この川を上っていけば景徳院ではないか、というわけで行く先を急遽変更。
以上、前ふり終わり。
とりあえずお寺になってるぐらいだから別段大したこともないだろう、というのが行く前の2人の意見だった。
ところが山門をくぐり、階段を上ってびっくり。いきなり目の前に現れたのは武将たちの辞世の句が書かれた木管。なんと書かれているかは(教養がないので)よく分からないが、なんか口惜しい気持ちはびしばし伝わってくる(ような気がした…)。そして次に現れたのが、
首切り岩
こ、これって、ここで首切ったって事ですか?おいおい、それじゃ死亡現場じゃんかよ。こんなもんとっとくなよ。てなわけで、少々げんなりしながら山を下りていった先にあったとどめの一撃ともいうべき、
首洗い場
なんか、ここ最近工事したばかりのようで、子供が遊べるような場所にしてあるらしいが、こんなところで遊ばして何の問題もないのか?
最後に姫ヶ淵の撮影をして切り上げたが、いささか食傷気味の2人だった。
ここで、霊的なものを感じることはなかったが、武田氏滅亡の様があまりにも生々しく感じ取れるところなので、心臓の弱い人にはお勧めできないかも。
えっ、そんなことない?ぜんぜん怖くないって?
そうかい、そう思うなら、一度行ってみるといいよ。それでもそうやって言っていられるかどうか…。
TITLE : 辞世の句
DATA : ISO 400
f 3.7
SPEED 1/250
フラッシュ使用
メモ : びしばしきませんか、彼らの無念の思いが…。
TITLE : 首切り岩
DATA : ISO 400
f 3.7
SPEED 1/250
フラッシュ使用
メモ : ここです、ここで…。
TITLE : 首洗い場
DATA : ISO 400
f 3.7
SPEED 1/250
フラッシュ使用
メモ : あなたはここで自分の子供を遊ばせようと思えるかい?
私なら、絶対にいやだね。まぁ、結婚はしていないが…これだけははっきりと断言できる。
TITLE : 姫ヶ淵慰霊碑
DATA : ISO 400
f 3.7
SPEED 1/250
フラッシュ使用
メモ : 彼女たちは勝頼の決心が鈍らないようにと、真っ先に自害していったという…。この時代、真っ先に犠牲になるのは武士よりも女子供だったかもしれない。
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