SPOT
東京都
住所 : 東京都港区芝公園
交通 : JR浜松町駅を降りて増上寺方面に歩いていくと真正面にみえる。地下鉄だと、都営三田線の芝公園駅や、都営浅草線の大門駅でもいい。
噂 1 : タワーの非常階段を下りてくる女性を見かけたが階段の途中でその姿が消えてしまった。いつまで待っていてもその女性が降りてくることはなかった。
噂 2 : タイの高僧が来日した際に、真っ青な顔をして、
「東京タワーには不気味な悪霊がつき、苦しみもだえる亡霊がたくさん見える。このままでは西側の脚から崩れてしまう。ほら、傾きかけてい るでしょう。」
と供養する。
メモ : タワーの脚の一本が増上寺の墓地跡に建てられている。
住所 : 東京都千代田区大手町1-1-1
交通 : 内堀通りを『大手門』まで走り、この交差点(T字)を日本橋方面に曲がる(飯田橋方向からきた場合は左折)。100メートルも走らないうちに左側に見える。深夜はタクシーが大量に止まっているため、反対車線でないと車がとめられないので注意。
噂 1 : 関東大震災の後、この首塚に大蔵省が仮庁舎を建てようとしたが、けが人が続出し大蔵大臣の死亡も重なり中止になった。
噂 2 : 戦後、GHQが駐車場にしようとブルドーザーで整地を始めたが、このブルドーザーがいきなり転倒、運転手が死亡したため計画中止。
メモ :
平将門(たいらのまさかど)?~940
平安中期の武将。下総国猿島郡石井(現在の茨城県岩井市)を中心に父祖以来の在地豪族として勢力をふるう。
935年(承平5年)には父の残した領地と女性問題を巡り一族の内紛が勃発。この際、叔父や親戚の3人の子供を殺すなどの所行に及ぶが、結局938年にこの内紛を収めることに成功する。
その後将門は関東の土豪たちの争乱に積極的に介入する形で地域支配を始め、939年には上野(現群馬)、下野(現栃木)、常陸(現茨城)、武蔵(現埼玉・東京)、相模(現神奈川)をその支配下においた。
ここに至り将門は公然たる朝廷の反逆者となり、940年1月朝廷は将門鎮圧の軍を出兵させている。しかし、その軍が到着する以前に将門は、平清盛と藤原秀郷の連合軍の前に敗退し、流れ矢に当たって最期を遂げていた。
この一族の内紛に始まった、940年までの一連の紛争を「承平の乱」と呼ぶ。
将門はその死後、民間で英雄伝説として語り継がれており、その伝説は以下の通りである。
承平の乱に敗れた将門の首は京都まで送られ、都大路にさらされた。ところがその首は目を閉じることがなく、そればかりか噛みつきそうな形相でわめき続けた。さらに3日目には怪光を放ちながら夜空に舞い上がり、何処もなく飛んでいってしまったという。
この不気味な首の所在は不明だが、全国にはその首が落下したとされる「首塚」が多数存在する。
住所 : 東京都新宿区四谷左門町17
交通 : 国道20(甲州街道)を新宿方面から日本橋方面に進み、外苑東通りを右折。左に警察署があるので、その裏。
噂 1 : 四谷怪談を上演する前に必ず役者さんが参拝に来る、言わずとしれた場所。
メモ : 江戸四谷左門町に伝わる話を元にした世話物「東海道四谷怪談」。浪人、民谷伊右衛門の妻お岩が夫に虐待されて憤死、亡霊となって夫を悩ますと言う筋に複雑な因果関係を絡ませている。
住所 : 東京都渋谷区神宮前2
交通 : 外苑西通りを四谷方面から青山方面に進み、外苑インターを過ぎ、国立劇場を左にすぎると仙寿院前交差点にくるので、そこを右折した先のトンネル。
噂 1 : 夜このトンネルを通っていると女性や子供の顔がフロントガラスに映ったり、車と同じ早さで走る女性の姿が見れるという。
噂 2 : 近所では、トンネルを通る際に息を吸うと呪われるといって、息を吸わないようにして通る人がいる。
メモ : トンネルの上には墓地がある。
住所 : 東京都墨田区
交通 : 春日通りを錦糸町方面に進み、横川橋が見えたらその左側。
噂 1 : 防空頭巾をかぶった女性や、血糊で塗れた鉢巻きをした女性、消化器を握った女性などが夜中に現れる。いずれも炎で皮膚がただれ、恐ろしい形相をしているという。
メモ : 太平洋戦争当時、ここは航空関係の軍需工場があった。この建物は20年の3月10日に空襲により全焼しているが、その際幾人かの女工が最後まで消火活動に当たり、焼け死んでいる。この建物は今では警視庁の第2機動隊の宿舎として使用されている。
住所 : 東京都豊島区東池袋2
交通 : 春日通りを大塚から成増方面に進み東池袋三丁目交差点で左折したところのすぐ左側。
首都高速5号線を東池袋ランプで降りると、すぐそこ。
噂 1 : 警備員が見回りの際、誰もいないはずのところでよく人の歩き回る音などを聞く。
噂 2 : 1979年(昭和54)8月に「サンシャイン広場」にて奇妙な火の玉が5個発生。互いに絡み合うようにして上空を飛び交い、5,6分後に消えるものの、多数の目撃者があり、大騒ぎになる。
住所 : 東京都豊島区東池袋2
交通 : サンシャイン60の隣
噂 1 : 人魂がよく出現する。
噂 2 : 1978年(昭和53)、公園建設の際に作業員が、怪我をしたり、高熱を出したり、精神に異常をきたすなどの奇妙な出来事に遭遇したという。
メモ : この付近一帯には、戦前戦後を通して巣鴨拘置所が建てられており、戦後には東条英機などの戦犯を収容し、「巣鴨プリズン」と呼ばれていた。。戦犯の処刑場後も残されていたようで、公園建設まで厚いコンクリートで封印されていた。現在は「永久平和を願って」と彫られた石碑が建てられている。
住所 : 東京都東村山市
交通 :
噂 1 : 市内の中学生5人が八坂神社境内の石碑を撮影したところ、その石碑の横に人の顔が写った。担任の先生が現場検証したところ、人の顔に見えるものはなにもなく、この写真は本物の心霊写真と認定されたという。それ以来、多くの人が心霊写真を撮影しに来ており、多くの心霊写真が確認されているという。
住所 : 東京都新島?
交通 : 大竹埠頭から『東海汽船』のフェリーで約5,6時間。ちなみに、この船は毎年あちーむが仲間内の合宿で使う船だ。えっ、そんなことは聞いてない?こらまた失礼。
噂 1 : 誰もいないのに、軍楽隊の演奏するようなマーチが聞こえる。
噂 2 : 鉄兜をかぶった兵士数人の霊が現れる。
噂 3 : 小学校の校舎で白っぽい姿の幽霊が見られる。また、子連れの幽霊もしばしば島のあちこちで目撃されている。
噂 4 : 島にある、『十三神社』の池で、赤ん坊の体を洗う若い女性の霊が現れる。この話はかなり有名で、島民のほとんどが知っている話という。
噂 5 : 海難事故で死んだ人の霊が自宅に帰ってきたり、親戚に挨拶回りをしたりする。
メモ : 江戸時代は罪人の流刑の地として有名であり、300年間の間に、約1400人もの罪人が流されてきたという。また、太平洋戦争中には、新島沖で海戦が発生し、その時の海軍の将校らを埋葬した墓地もある。
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